――浅草といえば――
浅草のシンボル、雷門をくぐると、日本最古のショッピング・アーケード「仲見世」。
突き当たりは約1,400年の歴史をもつ浅草寺です。
江戸時代、天海僧正の進言により徳川幕府の祈願所となり、日本各地の神仏を勧請すると同時に、見世物小屋など娯楽の殿堂として、多くの庶民に愛された観光地でもありました。
――下町の熱気は江戸三大祭りの一つ――
観音様の夢のお告げにより、三社権現と称し地元の漁師と豪族三人を神として祀ったのがはじまりとされています。
明治維新の神仏分離令により、浅草寺と分かれました。
三社様として親しまれている浅草神社は、三社祭りでも有名。
下町情緒と神輿の担ぎ手の熱気で盛り上がります。
5月中旬の週末3日間で行われ、毎年約150万人以上が浅草の街を埋め尽くします。
――初夏の風物詩――
7月9日・10日、この日観音様にお参りすると、四万六千日分日参したのと同じ功徳があるとされています。
境内には市が立ち、薬草として「ほうずき」が売られていたのがはじまりです。
煎じて飲むと子供の虫封じになり、さらに女性の癪(しゃく:胸の差込み)によく効くといわれていたそうです。
――江戸庶民 夏の風物詩――
隅田川の花火は享保18年(1733)、八代将軍吉宗が飢饉で犠牲になった人々の慰霊と悪病退散を祈って隅田川で水神祭を行った際、両国橋近辺の料亭が花火を上げたことが由来とされています。
当時は「両国の川開き」と呼ばれていました。
その後の紆余曲折を経て隅田川花火大会として復活したのは、昭和53年(1978)からです。
約2万発の花火が下町の夜空を彩ります。(7月下旬の土曜日開催)
――浅草 年の瀬の風物詩――
12月中旬、浅草寺境内が賑わう羽子板市。
古くは江戸時代の文政年間頃からおこなわれています。
女の子の健やかな成長を祈り、穏やかな新年を迎えるための年中行事になりました。
最近では有名スポーツ選手や話題の芸能人をかたどった羽子板も売られています。
――江戸文化が花開いた粋と情緒の残る街――
浅草から見て隅田川の向こう側にあたる場所のため、「川向こうの島」即ち向島と呼ばれたそうです。
東京でも最大の花柳界ですが、現在では120名の芸妓衆と15軒の料亭が残っています。
悠久の流れ、隅田川とともに育まれてきた向島には江戸庶民の生活、文化、人情はいまも引き継がれており、周辺には水戸黄門の江戸下屋敷跡や神社仏閣、高名な文人の句碑などの名所古跡も多く、くわえて人情ゆたかな首都東京でも稀なる文化圏です。
――相撲とちゃんこの街――
かつての神事から庶民の娯楽となった相撲興行は、江戸時代の天保4年(1833)回向院を常設場所として、春と秋に開設されました。
明治以降、蔵前の旧国技館を経て、昭和59年(1984)、両国に新国技館が完成しました。
相撲につきもののちゃんこ鍋屋は、両国界隈に10店舗以上あり、老舗の味を伝えています。
――隅田川と下町の和菓子――
隅田川にかかる「言問橋」近くに江戸の昔から伝わる人気の和菓子があります。
長命寺の桜もちは、享保二年(1717)、山本新六が隅田川の土手で桜の葉を集め、塩漬けにして餡を巻いた餅を包み、長命寺の門前で売ったことが始まり。こし餡の甘さと桜の葉の塩味が絶妙な風味です。
すぐ近くに店を構える言問団子。こちらは、こし餡、白餡、味噌餡、三色の丸いさっぱりした団子です。
植木職人の外山佐吉が江戸末期から明治初期、渡し舟の客相手に茶屋を開き、団子を売ったのが始まり。
伊勢物語で有名な在原業平が、詠んだ“名にし負はば いざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしやと”にちなんで名づけられた言問橋に由来する。
■ 長命寺 桜もち(月曜休み)東京都墨田区向島5-1-14
TEL:03(3622)3266
■ 言問団子(火曜休み) 東京都墨田区向島5-5-22
TEL:03(3622)0081
――墨田区無形民俗文化財――
文化元年(1804)に佐原鞠塢(さはらきくう)により向島に百花園が開かれました。
多くの文人仲間が集ううちに、近郊の寺社から隅田川七福神を選定し、向島の情趣にさらなる楽しみを加えました。
全行程は約1里(約4km)。
新春を祝う江戸の人々にとり、初詣や行楽にと人気を集め、今日でも多くの人が元旦から七日の松の内に訪ねています。
①三囲神社(恵比寿・大国神、向島二丁目5番17号)→徒歩5分→②弘福寺(布袋尊、向島五丁目3番2号)→徒歩2分→③長命寺(弁財天、向島五丁目4番4号)→徒歩15分→ ④向島百花園(福禄寿、東向島三丁目18番3号)→徒歩5分→⑤白鬚神社(寿老人、東向島三丁目5番2号)→徒歩25分→⑥多聞寺(毘沙門天、墨田五丁目31番13号)
――徳川家康は祭神・東照大権現になった――
元和三年(1617)、二代将軍・徳川秀忠が家康の遺言により創建しました。
その後、家康を崇拝する三代将軍・家光により、莫大な費用をかけ豪華絢爛な姿に再建されました。
日光は江戸から見てほぼ真北にあること、北極星が宇宙をおさめる神の星という考え方があったことなどから、家康は自らをもって江戸を鎮守する神(大権現)になろうとして日光の地を選んだといわれています。
――勝道上人(しょうどうしょうにん)が開山した山岳信仰の聖地・日光――
勝道上人が四本竜寺建立後、延暦九年(790)に本社の本宮神社を造営したのがはじまりです。
中宮祠が中禅寺湖畔に、奥宮が霊峰・男体山の頂上にあり、伊勢神宮についで日本で二番目の広さをもつ二荒山神社。
いまでも修験道の歴史が続いています。
――地上26メートル天空回廊(展望見学通路)オープン――
比叡山延暦寺、東叡山寛永寺(上野)と並び天台宗三大本山の一つ。
かつては日光山の総号として満願寺と名づけられていました。
実際には輪王寺という建物はなく、三仏堂をはじめとする仏教に関する寺やお堂などをまとめて輪王寺と呼びます。
現在、平成の大修理中。完了までの約10年間は、展望見学通路が設置され、日光門前町や男体山が一望できます。
――すばらしい四季に応じた美しさ――
男体山の噴火によってできたせき止湖。
日光を代表する周囲25km、最大水深163メートルの湖です。
遊覧船(中禅寺湖機船)も人気があり、夏は涼風を感じながらの名所めぐり、秋には見事な全山紅葉を湖上からお楽しみいただけます。
――日本三名瀑(那智の滝・華厳ノ滝・袋田の滝)の一つ――
勝道上人によって発見されたと伝わっています。
仏教の経典・華厳経から名づけられました。男体山の噴火によりせき止められた中禅寺湖から大谷川に流れ落ちる流出口にある滝。
落差約100メートルを流れ落ちる滝は、豪快かつ優美です。エレベーターで滝つぼ付近まで降りて、その迫力を間近に見ることができます。
――奥日光の情報発信基地――
最新の自然情報や奥日光の観光情報などさまざまなご案内をしています。
コンピューター検索ガイドでは、花暦、ハイキングコース、行事などの情報を引き出せます。
最大の見どころは、四季彩ホール。
3面マルチスクリーンに日光の四季の変化が、迫力ある音響システムとあわせ、ダイナミックに映し出されます。
――奥日光の自然の豊かさを実感――
男体山の噴火によってできた湖沼群に土砂が流入してできた湿原です。
標高約1,400メートルにあり、ニッコウキスゲ、ワタスゲ、ツルコケモモなど高原植物の宝庫です。
おすすめは湯滝から赤沼への約5km、野鳥の鳴き声が響く木道・自然研究治のんびりトレッキングです。
初心者および中後年の方々向き。
――四季それぞれの渓谷美にふれる――
いまから320年前の元禄五年(1692)発見されたと伝わります。
当時は滝の湯と呼ばれ、日光の僧侶たちの湯治場でした。
戦後の高度成長期には、団体客用の大型観光ホテルを中心に東京の奥座敷として、大変な賑わいをみせていました。
最近では、観光客の多様化に合わせて、個性的でしっとりした宿づくりが進み、おしゃれなカフェや足湯なども整備され、街歩きの個人客にも人気の温泉地です。
――息をのむ急流と渓谷の奇岩・怪石――
大自然が創造した渓谷の美しさを堪能する約40分の鬼怒川ライン下り。
船頭さんの巧みなカイさばきでスリルを味わいながら見上げる奇岩怪石の風景は、豪快そのものです。
4月中旬から11月下旬まで運行。
――雄大な自然を一望 猿の楽園――
鬼怒川温泉山麓駅より標高差300㍍を3分半で一気に昇ります。
山頂のおさるの山では、猿が遊んでいます。
さらに丸山展望台からは、360度の絶景。
北側に那須山系の鶏頂山(けいちょうざん)、正面に筑波山、下には鬼怒川の街並みが広がり、天気が良ければ東京スカイツリー®が見える場合もございます。
――1日で世界の旅が楽しめるミニチュアワールド――
世界の有名な建築物や遺跡を25分の1で精巧に縮小して再現。
国内の東京タワーや金閣寺をはじめ、ベルサイユ宮殿やピサの斜塔など、世界遺産等の貴重なものが100点以上展示されています。
話題の東京スカイツリー®も完成しています。
――あ、江戸時代にいる。EDO WONDERLAND――
時代考証に基づき江戸の町並みや武家屋敷を広大な敷地に再現しました。
歴史に遊び、歴史に学べるカルチャーパークとして人気のスポットです。
数々のお芝居や忍者のスーパーアクションを毎日上演中。関所をくぐってタイムスリップしましょう。
――新緑から紅葉まで四季折々の渓谷美――
鬼怒川温泉から川治温泉に向かう途中の観光スポット。
太古の昔、海底火山の活動によって噴出した火山岩が、鬼怒川の流れにより侵食され、現在の景観になったといわれています。
龍が暴れるような迫力ある風景から龍王峡と呼ばれ、鬼怒川温泉から山間のいで湯・川治温泉まで約3kmにおよびます。
※写真はイメージです
――会津西街道の宿場町に栄えた かつての湯治場――
享保三年(1718)、男鹿川が氾濫した際に発見されたと伝わる温泉。
江戸時代から会津西街道を往来する旅人や湯治客に親しまれてきました。
川沿いに10軒ほどの旅館が点在しています。
温泉は傷に効くともいわれ、肌にやさしいお湯です。
鬼怒川温泉とは趣が異なる静かな環境の温泉場です。
※写真はイメージです
――山奥の隠れ里 平家ゆかりの地――
湯西川温泉駅からバスで山間部を走ること約30分。
800年以上も昔、壇ノ浦の合戦に破れた平家一族の落人が、隠れ住んだといわれる温泉郷です。
いまでも地元の川魚や各種キノコ、野鳥などを中心にした野趣あふれる囲炉裏料理を提供しています。
自然に囲まれ秘湯気分を味わえます。
※写真はイメージです